ジョブマーケットペーパー2022-23

大学の専攻と卒業後の就職の勘違いが引き起こす人生選択の誤り(ハーバード JMP No.1)

前回までは、行動経済学分野のジョブマーケットの概要・傾向を説明しましたが、今回のブログからは、トップ50大学から出ているジョブマーケット候補者(院生・ポスドク)のジョブマーケットペーパー(JMP)を、大学のランキングが高い順に、紹介していきます。

注)経済学PhD・ポスドクは、ジョブマーケットペーパー(JMP)という論文を書いて、就職活動に臨みます。学会中の面接で選ばれたら、次は大学・組織に招待されて、JMPを発表します。

行動経済学の研究者にとっては、最近の研究トレンドを知るために、JMPを押さえておくことはとても重要です。行動経済学を研究したいと考えていらっしゃる方には、行動経済学の最先端の研究がどのようなものか、トップ大学で行動経済学を専攻した大学院生がどのような論文を書いているのかを知る良い機会です。

PhD1年目・2年目の方は特に、トップ大学のスターのJMPを読み込んで、レベルの高いJMPが書けるよう準備を始めた方がいいと思います。今日紹介するJMPは特に教科書になるようなお手本のJMPです。

ハーバード大学院生ジョブマーケット候補1:John Conlon

最初解説するJMPに選んだのは、ハーバード大学のJohn Conlon。研究分野は行動経済学、実験経済学、労働経済学。今年のスターの一人で、研究業績が突出しています。

JMPの他に、すでにQJEから2本、Journal of Human Resourcesから1本論文を出し、Econometricaに1本R&Rしています。そしてNBERにワーキングペーパーが2本。まさしくスターですね。

JMP
Conlon, John J., and Dev Patel. (2022) “What Jobs Come to Mind? Stereotypes about Fields of Study”.

その他の論文

Conlon, John J., et al. (2022) “Not Learning from Others”. No. w30378. National Bureau of Economic Research. (Revised and Resubmitted to Econometrica)

Bordalo, Pedro, et al. (2021) “Memory and probability.” The Quarterly Journal of Economics 138.1: 265-311.

Conlon, John J. (2021) “Major Malfunction A Field Experiment Correcting Undergraduates’ Beliefs about Salaries.” Journal of Human Resources 56.3: 922-939.

Conlon, John J., et al. (2021) “Learning in the Household”. No. w28844. National Bureau of Economic Research.

Coffman, Lucas C., et al. (2019) “Liquidity Affects Job Choice: Evidence from Teach for America.” The Quarterly Journal of Economics 134.4: 2203-2236.

Conlon, John J., et al. (2018) “Labor market search with imperfect information and learning“. No. w24988. National Bureau of Economic Research, 2018

Conlon, John R., Paul J. Healy, and Yeochang Yoon. (2016) “Information Cascades with Informative Ratings: An Experimental Test”. Ohio State University, Department of Economics.

ジョブマーケットペーパーの概要

付録を含めると86ページの長い論文ですが、以下、簡単に論文の内容をまとめます。論文に興味を持った方は元論文を読まれることをお勧めします。

大学の専攻と職業選択についての大きな勘違い

アメリカ全土で大学に入学したばかりの新入生を対象に行われた調査で、自分が選択する予定の専攻で「最もよくあると考えられている職業(ステレオタイプの職業)」に自分自身も就くと信じている学生は、実際にその職業に就く人よりはるかに多いことがわかった。例えば、芸術を専攻する予定の新入生の65%が自分は芸術家になると信じているが、実際にその職業に就く人の割合はわずか17%である。

このように大学の専攻と職業選択の勘違いの傾向が高い専攻は、専攻から簡単に連想できる「ステレオタイプな職業」が存在するけれども、実際にはその職業に就ける人は少ない。芸術・心理学・ジャーナリズムなどの専攻である。

大学で選ぶ予定の専攻最も一般的と考えられている卒業後の職業と、その職業に就くと信じている学生の割合実際にその職業に就く人の割合
芸術芸術家:65%17%
生物学医者:60%23%
コミュニケーション、ジャーナリズムジャーナリスト:42%4%
心理学カウンセラー:62%21%

大学の専攻と職業選択の勘違いがもたらす低収入の可能性

芸術、心理学、人文科学などのように、希望している「ステレオタイプな職業」に実際に就ける確率が低い上に、その職業に就けなかった時に選択することになるであろうその他の職業の収入が低い専攻(以下リスキーな専攻と呼ぶ)を選んだ場合、将来低収入になる可能性が高い。

一方、経済学のように、経済学者のような「ステレオタイプな職業」に就ける人の割合は低いものの、その他選択できる職業の収入が高い専攻の場合は、低所得問題が起きにくい。

リスキーな専攻の選択はその後の人生に悪く影響する

望む職業に就けず低収入な他の職業を選ばなければならなくなる確率が高い「リスキーな専攻」を選択した人は、そのような専攻を選択をしなかった人に比べて、以下のように、その後の人生に悪影響が出る。

  1. 失業率が39%高い。
  2. 仕事の満足度が17%低い。
  3. 専門とは関係ない仕事に就く確率が17%高い。
  4. 希望する職業が得られなかったという人の割合が65%高い。
  5. 給料が22%低い。
  6. もし戻れるならば他の専攻を選ぶという人の割合が35%高い。

勘違いしている学生を政策実験で救えるか?

オハイオ州立大学でまだ専攻を選択していない学生を対象に政策実験を行い、希望する専攻で実際に「ステレオタイプな職業」に就くことができる確率は低いことを示したところ、リスキーな専攻を希望していた学生の中でも特に勘違いが大きい学生で、志望専攻を変更した者が多かった。よって、客観的な情報を示して勘違いを正してあげることは効果があると言える。

行動経済学理論モデル

以上の実証研究の結果を受けて、ステレオタイプな職業に惹かれてリスキーな専攻を選択してしまう情報認知のメカニズムを、理論モデルで説明。専攻とステレオタイプな職業のリンクは、連想記憶の結果として形成され、レアな職業に就く確率は過大に見積られ、よくある職業に就く確率は過小に見積もられる。つまり、「ステレオタイプでレアな職業」についた人を思い浮かべることが容易な専攻ほど、勘違いは大きくなる。個人的に知っている人が実際にレアでステレオタイプな職業についている場合には、より過大に見積もられる。

この論文の理論モデルが「伝統的経済学」ではなく「行動経済学」な理由は、人々が全ての情報を駆使して合理的で一貫性がある意思決定をすると仮定するのではなく、人々は限られた記憶に基づいて所信(belief)を形成すると仮定しているところにある。

研究アイデアと汎用性

社会を見渡すと理想と現実の乖離(思い込み)の例は山のようにあります。理想と現実の乖離が生まれるプロセスを理論モデルとして構築し、政策実験で問題解消を検討したところにこの論文の大きな価値があると思います。

この研究のアイデアが他の政策・サービスのデザインに活かせる場面はたくさんあります。例えば結婚相談所。10歳以上年下の人と結婚したいという方に対して、同年代で10歳以上年下の人と結婚する人の割合を客観的に示してあげると、理想と現実の乖離を自覚し、より現実的な婚活に取り込むきっかけになるかもしれません。